2010年5月15日土曜日

ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶

今回、場所もラフォーレ原宿だし、評判がとてもいいということで、実はやっぱり行くの止めようか…、と思っていた。
というのは、わかりやすくて楽しい、という感じに共感したことがほとんど無いので、悲しい気持ちになるのではないかと思っていたからだ。でも行って良かった。

一見して、わかりやすいような、ポップとかそういう装いをしているけれども、それに拮抗している「見えない錆びた針金」みたいな何かを感じて、最終的にはそれに貫かれてしまった。なんか泣けてしまった。役者の力量もすごいなと思った。モチベーションがとても高い取り組みとしてやられていると思った。岡田さん厳しかったんだろうな…。

文句なしのクオリティーみたいなものはやっぱりあるし、そういうものを積み重ねたい。そのためにはある程度同じ人と仕事をしないとな。ダンサーの人とそれらを積み重ねる日々というのがやっぱり必要な気がする。

2008年12月18日木曜日

哲学セミナー第4回「からだは考える」

「ラボカフェ」12月12日(金)

中之島哲学コレージュ
哲学セミナー第4回「からだは考える」


ジャワ舞踊家の佐久間新さんと理学療法士の玉地雅浩さんがゲスト「からだは考える」というテーマのセミナーが行われた。私が先日行った、地元の「顔と顔カフェ」でゲスト出演して下さった野村誠さんに、終わった後の里ちょうちんでビデオを見せてもらった。その中で、佐久間さんが踊っている姿を見かけてとても気になっていたので、そのイベントを寅雄氏が見つけてくれた時は遠いけどなんとか見に行きたいと思った。

最初に、佐久間さんが、客席に向かって波を送るというパフォーマンスを行った。そのとき、あ、なんかやばい感じがする、というのがあった。何かが体に作用する予感のようなものがあった。そのあとは水の入ったペットボトルと透明なプラスチックコップを使って、体で体感実感する内容のワークショップみたいな形で進んで行く。
1)水が半分入ったペットボトルを横にして、両手で挟んでこれを左右に揺らすと、口の方に水があたった時の「パン」という音がする。それを規則正しくならすということを続ける。
2)透明なプラスチックコップに水を注いだり、逆にコップ満タンの水をペットボトルに返したりするのを何回も繰り返す。表面張力が働いているところから水が溢れ出す瞬間を大切に。
3)水の入ったペットボトルを頭の上に載せて歩いたり座ったり、寝転がったり寝返りを打ったりする。(もちろん私はそこまでできなかった)

それらを通して、だんだん頭で考えることができなくなって、感覚を研ぎすませて行ける。それはたぶん、集中してやることができたからだと思う。

そして最後にジャワ舞踊の佐久間さんが踊って下さったのですが、その最初はやはり客席に波を送るような動きで始まった。その時に最初の予感がものすごい実感になって私の体を貫いて行った。それは潮騒のようなもので、体の細部に入り込まれて私自身がゆれ、物理的に体も揺れて行く。これは私が踊る時に体が勝手に動くというのとは種類がまったく違うもので、本当に得体の知れない力、あるいは神聖な力というものをまざまざと感じた。美香さんと踊った時の交代経験をも思い出す。自分が自分ではもうどうにもならないような感じである。


この経験がジャワ舞踊、バリ舞踊などのインドネシアの舞踊にある性質なのか、佐久間さんの持っている力なのか、前半のワークショップのおかげなのか、きっと全部なのに違いない。

2008年11月4日火曜日

公演を見たりすること

もともと、出不精で、何かを見るという事にいつも不安がある。だからダンスの公演なんかに興味を持たなかったり、分からないものを見に行かない人の気持ちとかは割と分かる。それなのに自分は、人を不安にさせるような要素のある作品を作って人にきて欲しいと訴えたりするのだから始末に負えないと思う。

だけど、何かを見た時には、結構な頻度で「はっ」とさせられるし、私自身への批評性となって自分に突き刺さったり、とてもひどい時にはショックを受けて何日か考え込んでしまったりもする。それは生で見た時に限らず、映像で見た時でもそういうことがある。そういったもののいくつかは、今でも私自身の深い所で問いを続けている。

同時に、そういう可能性、自分に「恩恵」と呼べるような瞬間をもたらす差し込みみたいなものは、作品とか公演とかいう形になったものだけとは限らないとも感じている。それは、ある時は、渋谷で喧嘩していたからすの羽がちぎれて、あまりにもゆっくり空中を舞う姿だったり、品川駅の始発電車を待つ時に聞いた駅員の「おはようございます」というアナウンスだったりもするのだ。それは、与えられる時には与えられる。

いろいろな人が見た公演などについての感想を書くブログを展開している。それを見るのはとても素敵だ。でも今までは、なかなか手が付けられなかった。書こうと思うと、自分の感覚とずれないように慎重に考えすぎるからだと思う。時間がかかるのだ。でも私自身も書こうと思った直接のキッカケは、やっぱり自分が公演した後、感想を言ってもらえないのはなんとなく凹むのだ。悪かったら悪かったなりに何か感じた事を言って欲しかったりするのだ。ノーリアクションというのは、どんどん悪い妄想を生む種となってしまう。たぶん、本当にリアクションが欲しくて、ダンスなんかをやって生きているのかもしれない。でも、自分の作品に対して、それに頼りすぎるのはやっぱり違う。そこにはただ相対的な感じ方、考え方というのがあって、それが立体的に見えてくるということなのだ。それと照らして、または距離を置いて、自分が欲していた事、潜在的に欲していた事に気づくということが一番大切な気がする。

これは誰かに対する批評などではなく、私自身にたいする批評性を書き留めておくということにすぎない。

最近見たもの

家内工場、ダイレクト コンタクト、チェルフィッチュ『フリータイム』(映像によって)など

徐々に書いていこうと思う。続くといいな。。。